短歌自選集「幾歳月」 第一部:昭和時代後期

「弟の死」 (S28-7)
○蒸せかえる草の熱気を血に染みし カンナひとむら 死の影の夏

○カンナカンナ この夏の火を燃え尽きよ さあれ 空しく夕日は明かし


「思い出:柴原の頃」
(S61-10)
○長屋では夏は向日葵咲いていた 妻も私もまだ若かった

○妻の手は紫色に霜焼けた 貧しい二人のはじめての冬

○北風の冬の夜道は遠かった 小さい我が家へ妻と急いだ

○門に立ち見送る妻に手を振った 小さい家のあの頃のこと

○お祝いに貰ったピンクのトースター ただそれだけが宝であった

○ささやかな六畳一間の我が家では 夕餉
(ゆうげ)は小さな卓袱台(ちゃぶだい)だった

○ささやかな玄関脇に洗濯機 はじめて置いた あの夏のころ


「次男孝之の死」
(S33-8)
○夏草の露と生まれし吾が子なれ 空蝉よりもはかなく去りぬ

○いかばかり苦しかりしか一夜中 泣き泣きに泣きて その朝去りぬ

○まだ半ば薬の瓶に残るまま 吾が子は行きぬ 赤き水薬

○いまは吸う阿子なきままに乳房張りぬ 母はまたしも涙おさえぬ

○夕されば 吾子泣く声の空耳に 箸置く母の目に光るもの

○あわれあわれ 吾が子の薬を貰うため あの夜来し駅に ぽつねんと佇つ(たつ)

○日は行けど このかなしさは消えもせず つたなき経を吾子に捧げぬ


「春を待つ頃」
○水底のしじまにも似た深い青 野末に赤く燃える火のあり
(S62-2)

○いさかいの鉛は重く 沈黙は暗く沈みぬ この日雪降る
(S62-2)

○春寒く 夜更けのストーブ火の赤さ いさかいの果て もの言わぬ妻
(S52-4)

○夢二絵の病める女の眼差しが 小春日和をものうげにする
(S61-1)

○春を待つ心に愛の笛を吹く 芽吹けよ生命
(いのち) ときめきの詩(うた)(S61-2)

○三月の雨は大地に浸み通り 枯れ草に芽をはぐくめよ 春
(S61-3)

○枯れ株の根より芽吹きし一点の緑よ 三月の太陽はあり
(S61-3)


「学年末」
(S62-2)
○テスト終わる。子らのほっぺはゆるみたり。いま春の日に駆け出してゆけ

○採点の答案用紙の丸字から 少女
(こ)らの笑顔と声が聞こえる


「卒業式・謝恩会」
(S64-3)
○陽の中の白いスーツが眩しいよ 春は三月 風のかがよい

○あでやかな春の女神の宮人の 袖にからまる風の輝き

○学成りて 黒髪匂う晴れ姿 いま春の日に飛び出してゆけ

○春 弥生 かがよい匂う風渡る 君の晴れ着の赤がまぶしい

○豊かなる その青春と黒髪と 輝く瞳に 太陽がある

○目くるめく パーティードレスの華やぎと 若さの熱気にたじろいて佇つ

○ひたひたと 満ちる潮の春の宵 グラスの煌めき バラのコサージュ


「春光」
○春は今 ワルツに乗ってやってくる 私の胸のせせらぎの音
(S61-3)

○春は今 走り湯のごとほとばしり トランペットの高鳴りを聴く
(S61-3)

○天つ空ゆ 駆け下る風は 早緑の野山を渡り輝きとなる
(S60-5)


「春の心」
○夜桜に街も眠りぬ 漆黒の空に ほのかな華やぎがある
(S64-4)

○春にそむき 小暗き事務所の片隅で一人ペンとる この春も逝く
(S59-4)

「南九州」 (S59-4)
○波に煙る日向青島陽の光 黒潮奔る わだつみの宮

○バーベナの小粒の花と相対
(むか)う 堀切峠 青の眺望

○海光の日向七浦七峠 サボテンの花は希
(く)しき 夢見る

○海原は極みの果てに空に溶け 大きまぐわいの ただ中にあり

○ひんがしの空の高処
(たかど)に燃ゆる火を抱きて男児(おのこ)は人となるらむ

○昼を眠る大き鰻は盲しい
(めしい)たり 湖(うみ)に雨降る春は老いたり(池田湖)


「五月の娘たち」
(S63-5)
○髪長き少女の赤い広幅のベルトに五月の太陽がある

○黒髪を吹き分け五月の風光る 君 ヘルメットの赤が眩しい

○ペダル踏むミニスカートの純白が 五月の君を美しくする


「妻と家を探しにいった日」
(S44-5)
○日差しは夏 日焼けを気にするわが妻と たどりし造成地の砂ぼこりの道


「いさかいの日」
○いさかいて石の如き日々 ひとことも物言わぬ妻 今日も終わりぬ
(S44-7)

○いさかいの日の空しうて花枯れぬ 月も出ぬ夜 風も死ぬ夜
(S44-7)

○夕暮れは朱を吐くものぞ 意味もなく終わる一日
(ひとひ)の禍(まが)つ日の入り(S51-7)


「弔問:メランコリア」
(S60-6)
○あじさいの雨の弔い 眠るような低い読経の声の断続

○弔いの帰りに寄った喫茶店 柱時計と雨垂れの音

○昼深き空港ロビーの てぃーるーむ 喪服の影はひそと佇む


「風光る夏」
(S63-8)
○尼谷
(にのたに)へ下る坂道 犬が駆け 子らが駆け出し風光る夏

○指先のしびれを気にしてキーボード叩く夕べの遠い稲妻

○前を行くテールランプを追っている 夕立の雨 町は紫


「壮絶なる夏」
○御巣鷹にまた夏が来る 風吹けば死の絶叫の山鳴りを聴く
(S63-7)

○かんかんと炒りつける陽と昼顔と ただそれだけが存在である
(S64-8)

○斬られたる蝦夷の男の塚あばく 白骨の上に夏の日がある
(S63-7)

○一と日終わる いちょう並木に風渡る 夏の落日は鬱金の詩
(うた)
(S60-8)

○悲しみは黄褐色の砂の色 阿修羅曼陀羅 べとなむの八月
(S47-9)

○死臭満ちて 瓦礫に沁みる血の色の黒さよ べとなむの 呪われた空
(S47-9)


「母の死」
(S63-5~8)
○痩せ細る胸のあばらに あえぎ給う 蝕みやまぬ癌の病巣

○母眠る 癌細胞の増殖を まぶたに思う 外は夕焼け

○「また来るよ」と言って別れたあの午後が 母子の別れと知らざりし悔い

○午前五時 受話器を握る手の震え 人の死の刻
(とき)の深き静寂

○霊安室の朝の空気の淀まりに 母のむくろと ぽつねんと居る

○通夜の客 帰りし後の虚ろなる 時のはざまに 缶ビール飲む

○壮絶な太陽の夏 かげろうの 人焼く煙と黒の葬列

○カレンダーは八月のまま遺された 母に九月の月はなかった

○私一人残った秋のアルバムの 古い五人の家族の写真

○あの頃は 弟も居た祖母も居た 父母すこやけく 微笑
(えみ)ありし家

○しんしんと秋の星の座 母逝きぬ 私は銀河の脈動を聴く

○水面には残照があり風吹きて 秋の夕暮れは鎮魂の時


「ふるさと」
(S63-2)
○ふるさとは 怒りと悔いと あの頃の悲しさだけが住んでいる町


「ラスベガス」
(S62-9)
○砂に咲く真っ赤な毒の花びらと タランチュラスの踊りを思う

○命なき砂漠に咲いた毒の花 堕天使の夜は赤く砕けぬ


「銀閣寺:月の降る夜」
(S62-10)
○観音はゴビの砂漠に生(あ)れたまう こよなく月の降り積もる夜

○月の降る砂漠の旅を行く人に 仏は下る 銀沙灘 夜

○銀の砂 月の雫のしたたりに 今ぞ仏は下りたまいぬ


「北海道」
(S58-9)
○はまなすの赤き小粒の実を摘めば オホーツクの海に秋の日輪

○雄阿寒は雌阿寒恋しと恋こがれ 水底深く緑玉
(たま)を沈めぬ


「すすき野の秋」
○過去を引き愛憎を引き孤独なる 男佇む 夕べ すすき野
(S61-9)

○煙突は高く高く 白煙は垂直に上り 露草一つ
(S60-9)

○ハイウェイの水銀灯に灯はともり 月見草咲き 紫
(S60-9)


「追憶:父の死」
(S54-4~10)
○たまきはる いまわのきわの病床に 夜はしんしんと流れゆくなり

○夜は更けぬ 酸素の泡を 虚ろなる まなこに見つつ 寝もやらずあり

○霧流れ 白き朝(あした)のガラス窓 病床はなお 夜の残影

○秋の日の白々とした明るさに 病院を出て ふと目くるめく

○かさこそと鳴る骨壺を胸に抱く あまりに軽し 赤き入相

○西山の空の赤さよ 骨壺を抱いて帰る 影の長さよ

○赤馬関 阿弥陀寺陵下を訪いし日は 父すこやかなりき あの夏の日は

○火の山の 坂の上りにあえぎつつ 笑みし父なり あの夏の日は


「望郷:上総市原に単身赴任の頃」
(S49-2~51-6)
○わが妻を家に残して旅の空 雨雲は飛ぶ上総市原

○夜は更けぬ 上総市原雨落ちぬ ふるさとの妻よ ひとりいねしか

○果て知らぬ この月の夜の白い道 妻子と別れ たどり行く我は

○野の花をひとつ手折りて帰り来ぬ 妻なき宿の夏の夕暮れ

○また共に暮らす日はいつ 旅の宿 妻子と離れ 日々の空しく

○眠れぬ夜 ふるさと遠き妻の名をそっと呼んでは涙あふれぬ

○蚊柱のうなりすさまじ 夕暮れは 草のざわめき 魔のよぎる刻
(とき)

○ざわめきは間遠になりぬ 夜は沈む 吾妻国原 雨の近きか

○夜は更けぬ 「おやすみ幸子」ふるさとに一人寝
(い)ぬらむ妻よ「おやすみ」

○ふるさとの あの裏庭のひさかきに 水やる妻よ 暮れなずむ頃

○妻遠し 君が素肌をかたく抱き 燃えなん夜よ ああいつの日か

○抱きあい 頬と頬寄せ口づけを かわす日よいつ ああいつの日か


「冬日」
○血に染まるポインセチアの葉脈に 冬の夕べの落日がある
(S59-12)

○冬の陽はキラキラとして虚空
(そら)に充ち 窓辺に注ぐ光の真砂(まさご)
(S63-1)

○さざんかの花びらの上に冬陽
(ふゆひ)あり 凧一つ天の輝きの中 (S59-1)

○雲流れ 生きてあることのけだるさと 焦りの時空 日差ししたたる
(S45-2)


「箕面の春秋」
○粉雪飛び護摩の炎は燃え狂う 僧正天狗 森を出で来よ
(S53-1)

○山伏ら 大日不動の護摩を焚く 僧兵はいま山を下らむ
(S53-1)

○夜と死と 月と狼 森と水 しんしんとして冬の夜の底 (
S53-1)

○酒ほがい 妻と酔いにし夕暮れは 箕面小猿もあくがれて来よ
(S52-5)

○夕暮れの雲の流れや鳥渡る 残んの柿と野仏の道
(S53-10)

○たで うるし りんどう 露草 ななかまど 淋しき山路を勝尾寺へ行く
(S53-10)

○陽だまりの皇子
(みこ)のみ墓は秋深み 紺青深き空に雲行く (S53-11)

○野いばらの赤き実一つ山の池 旅人はひそと泪して行く
(S54-12)


「除夜」
(S52-12)
○生ける日の生ける証明
(あかし)のそのために ただひたすらに今日をし生きる

○粉雪散る わが人生に粉雪散る いんいんと渡れ除夜の梵鐘



短歌自選集「幾歳月」 第二部:平成時代初期

「恐山」 (1991-9)
○夏の日に 命短く死なしめし子の影を懐き 恐山行く

○宇曽利湖に夏の日赤し 耳元を嫋々離れぬ 地蔵和讃


「津和野」
(1992-1)
○雨上がり 津和野 殿町 冬の鯉 松韻亭になごむ一時
(ひととき)


「義兄五十回忌」
(1994-7)
○君は征き 君は帰らず 遺されし文 色あせぬ 風立つ夕べ


「五月」
○風歌い さつきの蠱惑 虻の恋 五月の太陽 どぶ板の町
(1994-6)

○あじさいの花は紫 雨しとど 虚空の中に明るさがある
(1997-6)


「愛犬ゲロイの死」
(1996-8)
○その夜明け 私はゲロイの夢を見た 北信濃なる旅の宿りに

○絶え間なき痙攣 激しい息づかい 妻と二人でその死を看取る

○松葉牡丹が一輪赤く咲いた日に ゲロイは死んだ 暑い暑い夏の日

○玄関でいつも待ってたゲロイなく 夏の陽のみが三和土
(たたき)に熱い

○夢の中で私はゲロイを呼んでいた しかし 姿はどこにもなかった

○「死んだんだから もうどうしようもないわね」と ぽつりと呟き吐息する妻


「九州」
(1998-3)
○水前寺 冬の水鳥 神の水 いきなり団子と 古今伝授と

○山桜 堀切峠へ登る道 鵜戸さん詣りはお馬でござる

○天草の天門の瀬戸に風吹いて 海に雨降る 海に花散る


「スペイン旅情
(1999-3)
○これやこの 何の執念 異様なるガウディの教会の成ることやある  

○日は高く ペニンスコラの海の城 登りつめれば 風孕む旗  

○コルドバの花の小径の白い雨 切り取られた空に金色の塔  

○カルメンの煙草工場の前に佇つ
(たつ) 赤いロングスカートの女  

 
「北欧の旅の日に」
(1999-7)
○リレハンメルの小径の店の冬の雨 ひとりトロール 大地の匂い


「イタリア紀行」
(2000-2)
○中世が凍てついた町アッシジに 木靴の音を幻に聞く  

○大運河 ベニス ゴンドラ サンマルコ カニバル カニバル 人 人 人  

○ベローナのシニヨレ広場の夕暮れは ロミオの仮面を売る店もあり  

○ベローナの町に灯がつく 冬の日は 愛の小径を夕闇にする  

○ドウモオの尖端に立つ金色のマリアの像よ 朝に病むミラノ  

○ダヴインチと四人の弟子の像あたり ミラノ・スカラ座 朝霧に濡れ  

○陽も眠り 湖
(うみ)静かなり コモ湖冬 遊覧船の旗もうなだれ  

○アノール川ベッキオ橋に沈む日は メディチの女の金の小鎖

○頬こけたドウモオ広場の似顔描き 夕陽を見上げイーゼルたたむ

○雪を抱き 群青の空を突き破る マッターホルンに冬の陽がある


「除夜・新春」
(1999-1)
○晦日(みそかび)の夜の湯舟に身を沈め 除夜の鐘聴く いま年替わる

○月明き夜空に除夜の鐘渡る かがり火赤く 妻美しく

○初春の五勺の酒にほろ酔えば 娘美くし 妻美しく